よしおくんの日記帳

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神経症体験4

―ぼたんの花―

五月の連休のあとさきは忘れたが、近所に住む高校の恩師を訪ねた。

不良学生の頃から色々世話をかけ、神経症についても、何やかやと相談にのっ

てもらったので、御礼かたがた退院の報告に行ったのである。ここは昔の大地

主で,母屋の造りは四百年も前のものだということだ。千坪の敷地内には竹や

ぶもあり、建物は様々な木々で囲まれていた。


日当たりのいい東南の庭には、自家用ナスやキュウリが植えられてあり、大き

な鶏舎では、百羽ほどの鶏が思い思いに時を過ごしている。蜜柑、桜桃、柿な

どの果樹もあり、そのはるか上には大きな楠が、この庭の歴史を見下ろすよう

に聳えている。この家の主は今は教師をやめ、趣味の百姓を楽しんでいた。


門を入り、離れの戸を引くと、三和土に牡丹の鉢植えが置かれていた。いきな

りその豊麗な姿にグイと心をつかまれ、私は知り得る限りの文学的表現を使っ

てその大輪の花を誉めそやした。農との再開の機会を作ってくれた牡丹に対し

て、ひとかたならぬ思い入れがあったのである。私の余りの惚れこみように、恩

師もそれならばと、わざわざその鉢植えを部屋までもちこんでくれた。


しばらくして牡丹の存在をすっかり忘れ、話にうち興じていた。どのくらい時が流

れただろうか。突然ビリビリという音がして、部屋の空気が強く小刻みに震え出

した。窓ガラスも鳴る程強いもので、部屋全体がまるで生き物のように、体を震

わせていた。地面の揺れはなかったので勿論地震ではなかった。


一瞬何事が起ったのか解らず、二人は周りをながめ回した。すると先程まで全

容崩さず、寂としていた牡丹が、意思あるものの如く花ビラを散らしている。それ

も美事に一枚残らず散らしてしまったのである。


それは世紀のショーであった。牡丹という花の生命力にただならぬものを感じた。

恩師もこんな経験は初めてだという。私は感動で鳥肌が立っていた。

先日の「Let it be」にせよ、この日の牡丹の歓迎にせよ、続いて起る不思議な

出来事に、いよいよ何か運命的なものを感じた。それは明るい未来を予感し得

るようなものであった。

ピーター・トムプキンズとクリストファー・バードという人の著した「植物の神秘生

活」という本があるが、その中に私の経験したような話が沢山のっている。その

時、私の心は生まれ変わった赤ん坊という感じで、生涯で最もナイーブな状態

だった、植物好きの恩師の心と、ナイーブな私の心が相乗して、牡丹の心に届

いたにちがいないと、今ではそう思っている。


つづく
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by kumanodeainosato | 2011-01-31 07:50 | 神経症体験