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よしおくんの日記帳

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「魂の腰が抜けた」

 強い寒風の中、ニンジンを収穫し、洗っていると散歩中の浅里さんが通りかかって、「寒いなあ」

と声をかけてきた。私は夢中で手を動かしていたのでそれ程寒さは感じなかった。「オレもまだまだ

元気だわい」と思っていた。

 ところが、次に水菜を収穫し、それを軽トラに積むのに歩いている最中。わずか40メートル運ん

だだけなのに、ガクッとくる程の脱力感を覚えたのである。

 水菜はニンジンより軽いにも関わらず、何でこんなにしんどいのだろうと、今度は急に自信をなく

した。

 「もう七十才近い老人だからなあ、自分が思っているよりかきっと体力は落ちているんだ。それに

しても情けないあ。」などと思いながら、何とか残りの仕事をやり終えた。

 そうして昼になったのだが、やたらと喉が乾く、佐代がオデンを作ってくれたが、全く食欲がな

い。一体どうしたことだろう。無気力、脱力感、それに厭世感も加わる。生命力がそっぽを向いてい

るというか魂の腰が抜けた感じだ。

 今までの人生において、こんな感覚はあまり覚えがない。風邪を引いた訳でもなく、熱がある訳で

もなく、突然襲ってきた心身の激変に戸惑っている。とりあえず寝ることにする。二階へ上がるが、

やたらと身体が冷える。ホームゴタツにもぐりこみストーブもつけるが、周辺が暖まるまで歯の根も

合わずガチガチしている。夕食はおじやをほんの申し訳程度食べ、洗腸し、腸をスッキリさせ、寝床

に入る。

 しばらくしたら、娘のゆきから電話があり、カキで食中毒になったが、お父さんは大丈夫かとい

う。その時初めて、胸のつかえがおりた。

 「そうか。犯人は歳ではなく、カキだったのか」

 実はその前々日、娘の家でカキを食べたのである。「生カキ」と書いてあるので、二人共、シャブ

シャブ程度に火を通しただけなのが悪かった。二人の孫とその場にいなかった娘ムコが食していなか

ったのが、せめてもの幸いである。

 原因がカキだと分かったとたん猛烈な下痢が始まり、朝まで十数回トイレに通いづめとなる。次の

日、まだ胃腸の調子がよくないので、一日寝床にいた。今度はよく眠れるのでウトウト寝てばかりし

ている。私はそれ程勤勉ではないが、大人になってからこれ程心おきなく堂々と怠けるのは、日常生

活の中ではあまり経験がない。

 枕を抱いて、真昼間から寝ていると、身体が弱かった子供時代を思い出す。何かあるとすぐに熱を

出し、よく学校を休んだ。一週間も二週間も休むことがあった。同じふとんに長く寝ているので、

時々、フトンもシーツも新しいのにしかえてもらう。その洗いたてのシーツはいかにも清潔で気持よ

かったが、同時にその感触の心地よさがせつなかったことを覚えている。両部屋とも前栽に開かれて

いて、家中で一番ぜいたくな部屋にいた。樹々の間を縫った柔らかい光を見つめながら夢かうつつか

長いような短いような一日を過した。

 その夢かうつつの世界では、時として天井にサイケデリックの模様が現われた。きれいな模様だな

あと思いながら、その幻想の世界を徘徊した。病気で寝ている所在ない時間の中で、見たり感じたり

思ったりしたものが、自分の感性を育む一端を担ったであろうことはまちがいない。

 今回、カキ中毒で、昼間みんなが働いている時、寝床の中に居たおかけで、六十年前の少年の心の

世界が蘇って、老人になった今も、そこに残る生命の滴みたいなものの香りを嗅ぐことができた。

 カキ中毒など毛頭歓迎しないが、そのハプニングのおかげで、遠い昔の私に会って、旧交を暖めて

きたと思えば、大いなる命の洗濯になったともいえる。それにしてもカキには御注意、殻つきのもの

以外、生では絶対手を出さないように。
by kumanodeainosato | 2013-02-27 08:26