よしおくんの日記帳

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― てのひらまつりそのⅡ ― 「留守番電話に話せない」

     私はどいらかというと人前で話すのが得手である。
     苦手という人の方が多いだろうが私はその逆で、自分でもエンターティナー
     だと思っている。

     それでケンゴさんに「てのひらまつり」で話して欲しいと頼まれたのも、二つ
     返事で引き受けた。

     講演と称するものや講演もどきで喋ったことは数えきれない程だが、野外
     のステージというのは初めてである。

     金、土、日と三日続きのお祭りの土曜日の夜ということになった。
     この日は催しがいっぱいあって、音楽あり大道芸あり、ファイアーショウあり
     で、私の出番は夜の十時過ぎになってしまった。

     派手なショウが終わり、多くの人は各々の居場所に引き揚げたが、舞台の
     周りにはお祭りの夜を惜しむ人がまだそこそこ残っていた。

     舞台に上がって椅子に座るが、強烈なライトに照らされ客席が全く見えない。
     見えないまま話すが、コトバがスムーズに出てこない。
     話しながら、「アッ、これは留守番電話に話しているのと同じだ」と思った。

     私は留守番電話になっていたらすぐ切る。生理的にダメなのだ。

     昔こういう話をきいたことがある。
     演説の上手な人は、オールという塊に向って語りかけるのではなく、各々の一
     人一人、即ちエブリワンに向って、語りかけるのだという。
     聴いている人誰もが、「あっオレに向って話している、私に向って話している」と
     感じる訳だ。

     講演の時、壇上から見ると、一人一人の反応がよく分かる。
     私は視力はあまりよくないが、自分の話がよく届いたかどうか波動で感じとれ
     るのだ。

     話し始めの最初の五分は、もの凄く緊張する。何度やっても慣れるということ
     はない。
     聴衆の歓心を買おうと、いきなり冗談を言っても、客は笑わない。
     この五分の間に、客の心が開かれるかどうかが勝負なのである。
     私の土俵に上ってくれたなと思ったら、ここからはもう合作の世界。
     聴いている人が、喋っている人のコトバを紡いでくれるのだ。

     勿論、用意した原形の話はあるが、それに手足が生え、生命が注ぎこまれて
     いくのは、聴衆の乗りと、会場の雰囲気の力である。
     私は「うん、うん」と頷き、相槌をうってくれる人に向って話しかけ、会場という宇
     宙空間に身を任せていればいい。

     ところが今回は勝手がちがう。
     相手の表情が見えない。
     まるで羅針盤のない海を漂っているようで、自分の身を守ることで精一杯。

     話が話の中に小さく収まってしまって、まるっきり遊びがない。
     私の話は周りのエネルギーを取り込むことができなくて、自由空間を飛翔でき
     ずにいる。

     私は喋りながら「これはピンチだ。何とかしなければ」と思っていた。
     それで話が一つ終った時、いつもの調子が出ないことを告白し、もっとワガママ
     に喋りますよと宣言した。
     
     手のうちを曝け出すことによって、聴衆との回線がつながり我が家に帰ったよう
     な気分になった。
     相変わらず顔は見えなかったが二つ目の話から私の発する波が相手の所に届
     いているのを感じることができた。

     私は檻から出してもらい秩父の夜を楽しんだ。



     めでたしめでたし。



    
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てのひらまつり2009


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by kumanodeainosato | 2009-07-01 15:42 | てのひらまつり