よしおくんの日記帳

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「無題」

      いきなり尾籠な話で、恐縮でありますが、あのうんこなるもの、人間としてこの地
      上界に生まれ一生つき合わねばならないもの。
      このものについてつらつら考えるに、いや実に不思議というか奥深いというか、な
      めてかかれないものだなあというのが、実に齢64歳にして、やっと解ってきた次
      第です。

      私め、幼少のみぎりより胃腸が弱く、緩る腹になったり、張り腹になったりと、腹の
      ことではなかなか苦労を重ねてまいったのですが、数年前より洗腸器なるものを
      使用するに及んで、快腸な毎日を送らせていただけるようになったのです。

      数年前まで、私の腹の中にあったものをつくづくながめては、「あら尊うと」と手を
      合わせ、神様に感謝します。
      うんこが尊い訳ではなく、うんこを身体から出していただける働きが尊いのです。

      この世という三次元世界で生きるために、身体という器を与えられました。
      そしてその器を維持し、働かすために食物をとります。
      食物をとればカスが出るということになり、これがうんこと称するものです。
      
      カスでもカンナくずのように、いいにおいのものもありますが、このカスは何故汚く
      てくさいのでしょうか。
      これには意味があるのです。
 
      私達は個別化された体をもっているために、その自己というものを守ろうとします。
      その自己保存の最も原始的な形態が食べるということです。
      
      自己は食べるだけでは満足せず、際限なく自己自身の拡大を計ろうとします。
      その過程で人とまさつを起こし、傷つけたり、意地悪したり、圧力を加えたり、ある
      いは闘ったりします。
      これによって生まれるのが「業」というものです。
      あるいは自己拡大の宿命そのものが「業」といえるでしょう。

      私はうんこはこの「業」が形になったものではないかという気がするのです。
      だからくさくて汚い。
      いい香りできれいなうんこ等というものはありません。
      
      洗腸して腹の中がすっかり掃除した時、この上なく爽やかな気分になるのは、あ
      れは業の浄化の疑似体験をしているからかも知れません。
      同時に自分のうんこを見て己が業の深さを知るのです。
      
      来る日も来る日も業は貯まります。
      食べるというのは、そういう行為で、生きるというのはそういう行為です。
      
      この世とはそういう所で、人間とはそういう存在であると言ってしまえばそれまで
      ですが、私は硬派のくせに「人間だからね」なんていうのは嫌いです。

      この世とオサラバする前に、この循環の外に出たいという途方もない高望みをし
      ています。


      ※腸洗浄器のことを「熊野出会いの里」ブログでも書いています。
       気になる方はそちらもご覧あれ~ → 「熊野出会いの里」ブログ
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by kumanodeainosato | 2009-07-18 15:18 | よしおくんの健康