よしおくんの日記帳

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甦る日の喜びⅢ

      対比されるのはそればかりではない。
      近代精神を身につけていた西洋人は、市民社会の自由を享受し、自我を開花
      させつつも、一方では精神と肉体、天上と地上の分裂を経験し、実存的不安を
      醸成させていた。


      他方、日本人といえば、未だ西洋流近代精神など身につけておらず、身分性
      社会の壁など何処吹く風と、霊肉一体となって、天真爛漫に生活を謳歌してい
      た。

      近代精神により、近代以前の日本人の精神構造を遅れたものとして批判的に
      ながめつつ、近代化、工業化によって失った古き良き時代の人間の生き生きし
      た姿を当時の日本人に見ていたのである。


      しかしこの日本社会の真綿にくるまれた幸せも、間もなく終るだろうと当の西洋
      人が予測し、その通りになっていく。

      世界の中に投げ出されたら、日本は変わらざるを得ない。

      大久保や岩倉たちが明治四年から五年にかけて、アメリカ、ヨーロッパの視察
      旅行に出かけるが、ここで圧倒的な西洋の工業力に目を見はる。

      当時の日本の知識階級に西洋流の近代精神というものがあったかどうか知ら
      ないが、少なくとも精神構造の骨格の頑丈さは西洋人にひけをとるものでなか
      ったと思っている。


      「江戸しぐさ」に残っている通り、庶民ですらしぐさにまで高められた人を思いや
      るあれだけ高い倫理道徳をもっていたということが、それを証明している。

      もし日本人が文明的に精神的にもっと低い位置にあったなら、当時の国力から
      考えて日本は植民地化されていたかもしれない。

      西洋人は紳士面して人の家に入ってきて、「ここの家は文化程度が低いなぁ、
      私が人肌ぬいで教育してあげよう」と言って植民地化していく。

      「俺は搾取しに来たんだぞ」なんて正直なことは誰も言わない。

      大義名分という錦の御旗をかざして悪事にとりかかるのである。

      かつて日本もその真似をしたし、アメリカは懲りずにまだやっている。


                                      *** つづく ***
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by kumanodeainosato | 2009-10-04 11:32 | プチ熊野大学