よしおくんの日記帳

deainosato.exblog.jp
ブログトップ

甦る日の喜び 最終回

      明治維新で棄てた日本、敗戦で棄てた日本、高度成長で棄てた日本。

      これらの日本をこれから拾い直していかなければならない。

      それぞれの時代には棄てざるを得ない事情があったのだろう。

      歴史のその時点に身を置いてみないと分からない。


      しかし時は変わった。

      イギリスに産業革命が始まって約二世紀半、ヨーロッパに波及して百七十年、
      日本が仲間に加わり百三十年。

      資本主義は世界を席巻したが、この体制の終焉も見えてきた。

      今こそ進歩や便利さの陰で犠牲になってきたものに目を向けるべきである。

 
      幸い私達は高度成長以降、この五十年間、腹いっぱい食べることができた。

      あふれる物に囲まれ、商業が提供するおもちゃを次から次へと取っかえいった。

      物質的贅沢はもういいではないか。

      これからは精神的贅沢の時代だ。

      
      一枚の紅葉に心を動かされ、天下の秋を想う。

      そのためにたとえ一本でも木を植えよう。

      コンビニのおにぎりでなく、手作りのおにぎりを食べる。

      そのために荒れた田んぼに稲を植えよう。

      焚き火の火を見つめ、天空の月を愛でる。

      そのために仲間と心を通わそう。

      春になれば川に出てボロ舟を浮かべる。

      そのために、冬の間舟の修繕をしよう。

      暑い夏にはスイカを冷やして食べる。

      そのためにスイカを吊るす井戸を掘ろう。


      数えあげれば贅沢なんていくらでもある。

      本当の贅沢は心を豊かにし、下界や他人と調和したものだ。

      お金で手に入るものではない。

      歴史というものをある断面で切れば、明治以降の百数十年は、私達にそのこと
      を教えるためにあったのだと考えてもいい。

      心も大切だが、ものや金も大切だと人は言う。

      でも心の方がずうっとずうっと大切である。

      特に物質的豊かさを享受した第一世界の人は静かに考えてみるべきである。

       
      幕末の人と私達とは同じではない。

      私達は近代、工業化社会を生き、近代的自我に出会い、実存不安も体験した。

      彼等ほど素朴ではない。

      しかしながら、〝陽気に生きたい〟とか〝人を喜ばせたい〟とか〝みんなと仲
      良くしたい〟とか〝困った人を助けたい〟とか本質的には同じものを持っている。

      本当の進化というのは、直線ではなくスパイラルなものだ。御先祖様から受け継
      いだもの―百年の塵芥の中に埋まって消滅したかに見えたものであるが―それ
      は、胸の底の底にある。

      それを一つ一つ丁寧に取り出そう。

      現代の陽に当てれば、当時よりも更に美しくそれは輝き出すだろう。

      「逝きし日の面影」は「甦る日の喜び」に変わる。

a0129148_15542096.jpg



          ※参考文献  日本奥地紀行 イザベラ・バード 東洋文庫
                    江戸しぐさ完全理解 越川禮子・林田明大 三五館
                    誇り高き日本人 泉三郎 PHP
                    逝きし日の面影 渡辺京二 平凡社
[PR]
by kumanodeainosato | 2009-10-10 15:58 | プチ熊野大学