よしおくんの日記帳

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カテゴリ:よしおくんの農( 2 )

「炎天下の幸せ」

      炎天下で仕事をするのが好きである。
      
      若いうちから、帽子もかぶらず、上半身裸のスタイルは今も変わらない。
      オゾン層がどうの、紫外線がどうのと言われる時代にあって、この格好は子供に
      真似させる訳にはいかないが、帽子やシャツは汗の体にまとわりついて、どうもう
      っとおしいのである。

      真夏の太陽は暴君である。
      その暴君の直情を受けとめながら、肌の焼ける音をきくのが好きだと言えば、「ア
      ホか」と言われそうだが、炎天下は一種独特の雰囲気があって、人を誘惑し鼓舞
      させる力をもつ。

      高校球児の甲子園でも、春より夏の方が詩情がありドラマチックである。
      灼熱と対峙できる生命力の輝きを全身で表現するのが夏の甲子園であり、我が
      夏の畑仕事である。

      只太陽だけが照りつける静寂の中で、黙々と作業を続けるその風景に人生の物
      語りを感じて私は遊んでいる。

      その愛すべき夏が今年は長引いた梅雨のせいで、秋風と一緒にやってきた。

      やはり夏は夏であって欲しい。
      スイカは豊作だったが、冷えたスイカが「うまい」と感じるようになったのは、ようや
      くスイカも盛りを過ぎた盆に入ってからである。

      私みたいに長年百姓してきた人間は、自然のリズムと共にあるので、それをはぐ
      らかされてしまうと行き場を失い、消化不良になってしまうのである。

      季節が季節らしくあることを有難く思う。
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by kumanodeainosato | 2009-08-21 17:26 | よしおくんの農

「三度目の実り」

      畑の草取りをしていた。ヨーロッパ等は雨が少ないので、草はあまり生えないらし
      いが日本農業は草との闘いである。有無をいわせず片っぱしから引き抜く。そん
      な作業を続けていく中、手元の動作がパタッと止った。
      禾本科(稲科)の草に混じって、稲が生えている。前から気がついていたが、いざ
      草と一緒に引き抜くとなるといかにも惜しい。
      作物というのは人間との親和性なのか、パッと見た感じ草とは明らかに受ける印
      象がちがう。もし稲ということを知らなかったとしても、「どこのどなたかは存じませ
      んが、おそらく高貴なお方でありましょう」という風情なのである。

      畑に稲が生えているといってもこぼれ種ではない。去年の切り株から茎が出てい
      るのだ。
      初秋に稲苅りをし、しばらくしたら、その切り口からひこばえが生え、私達はそれを
      又苅り取り鶏の餌にした。二度目はわずかばかりだが、既に同じ株から二度収穫
      したのである。
      そしてその後、全面耕起しないで、耕耘機に畝立て機具をつけ、いきなり畝を立て、
      キャベツ、レタス等を植えた。二条植えで畝の両側は耕されているが、真中は芯が
      残っている。即ち切り株はそのままということである。

      冬を越して、春になりキャベツ、レタスは生長し、やがて収穫。6月ともなれば収穫
      はとっくに終っている。しかし主役たちが退場した後、半年の眠りから醒め、忘れら
      れた稲の切り株からまたも茎が伸び始めた。
      熱帯生まれの稲が幾多の凍てや霜に遭い、まだ生きていて三度目の実りに向って
      いるという生命力の強さに感動せずにおれない。百姓賛歌、生命賛歌を唄いたくな
      るのは、こんな時なのだ。
      稲さんの三度目の実りが達成されますように。

      
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by kumanodeainosato | 2009-06-24 17:21 | よしおくんの農