―人間の可能性―
津村喬著「気功=心の森を育てる」にこんなことが書いてある。
「人体にたくさんの毛細血管がありますが、平均で1c㎡400本といわれるその
中で、常時使っているのは、5,6本にすぎないのだそうです。スポーツをしてい
ますと40本くらいは使うのですが、それでも可能性の一割です。
もし筋肉の力がそこに含まれる血液と単純に比例するとしますと、自分で出せる
と思っている力の10倍は出せるかもしれないということになります。10倍でなく
ても、大きな〝潜在力〟があることは間違いないでしょう」「ほかにも持っていな
がら使っていない器官というのは沢山あるようです。
例えば肺には七億五千万の肺胞があるのに、そのうち使っているのは五分の一
程で、残りはそのまま墓場にもっていってしまうといいます」「フロイトは人間の脳
の十分の一しか使わないといいましたが、今の脳生理学者はそんなことはいいま
せん。すべてのニューロンがフルに情報処理できる可能性に対して、現実に使っ
ているのは十の二八乗分の一だというのですから、ほとんど使っていないといっ
ていいわけです」
人間は秘められた可能性をそんなにも持っていながら、それに気づくことはない。
しかし負の側からその可能性に触れることがある。神経症になるような人は自己
防御本能がもの凄く強い。それが結果として自分を攻撃し、自分で自分を地獄に
追い込んでいくのだが、その負のエネルギーは凄まじいものである。
瞬発的には私が経験したように、タタミをかきむしり、ドアに頭をぶちつけさせ、つ
いには失神させる程激しいものである。また片時もそのことを忘れず、眠ってい
る時でさえ、不安の排除に費やされる。
エネルギーの膨大さを思うと、驚嘆せずにはおれない。こういう体験をすると、そ
れは負の側から呼び醒まされたものであるが、自分の中に普段は眠っていると
てつもないエネルギーの存在を知ることになるのである。私自身、塗炭の苦しみ
の中で、正方向にこのエネルギーが働いたなら、地球とも相撲とれると本当に
思ったのである。見方によれば病気というのは、こういう内に秘められたエネルギ
ーに出くわすための生命装置だとも言える。
そして本当の意味で病気が治るというのは、負体験によって知ったエネルギーを、
正の方向に向って使うことなのである。元の自分に戻るということではけっしてなく、
絶対値の符号を逆転させるのである。
つづく