―車の免許をとる―
百姓を本業でやろうと思った時、最初の難関は車だった。趣味でやっている間
は昔の運搬車(自転車の一種で骨格ががっちりしていてタイヤが少し太く、荷台
が広い)を見つけてきて、それでまに合わせていたが、本業となるとそれでは無
理だった。リヤカーも時々使っていたが、車道では危なくて使えなかった。
かつて学生時代、将来の田舎暮ら暮しを想定して教習所に通っていたことがある
が、持ち前の気の短さで、教員とケンカして途中で止めてしまった。その二の舞は
許されない。兎に角、トラブルを起こさないように気をつけた。実習の時は必ず自
分の方から挨拶し、天候の話やら、なるべく俗耳に入り易い話題を見つけて話しか
けた。そういう類いのことは最も苦手で、まるでほうかん幇間にでもなったような気
持だったが、神経症で鍛えられたお陰で、その役も楽しむことができた。
私は不器用だし機械類に弱いので、怒鳴られる前に、頭が悪いことを強調して
予防線を張った。敵はその作戦に引っかかって、たいていは平穏にいったが、時
にはカンシャク持ちが居て、大声で罵倒されることがあった。そんな時、そのいい
方に注意がいくと腹が立つが、何がいいたいのかその内容に耳を傾けると腹立ち
は視界から遠ざかり、相手の言わんとすることに納得することがあった。「正受不
受」(正しく受ければ、受けずも同じ)を日常生活に応用した訳である。
車はさすがに自転車やリヤカーに比べ稼動力が大きく、今までより広い範囲を廻
れるようになって、他人の土地まで借りて耕すようになった。
つづく