―自然のリズムで暮す大切さ―
農業で一番大変なのは朝の収穫で、これだけはいくら努力しても一人ではどう
しようもなく、乳飲み子をかかえた妻に助けてもらわねばならなかった。よく「収穫
の喜び」と言われるが、私は収穫さえなければ農業はどんなに気楽だろうと思っ
ていた。
私の感覚では農業は仕事というより遊びに近かった。収穫とは種まきから実り
まで、さんざん遊んだ後のいわば燃えカスのようなもので、収穫とその後の販売
が、私にとって仕事となっていた。
しかしそうはいうものの収穫は、作物の一生が凝縮された、緊迫を生む、神聖な
とき刻でもある。早朝の空気はその儀式にふさわしい。
一日のはじまりの大気には、何か不思議な力がある。頬に当るとはっきりと目が
醒め、身体の底から活力がムクムク湧き上がる。「オレはまぎれもなく生きている」
という実感が全身にみなぎり、生命というものはいいものだと無条件に思えてくる。
生きていることを全肯定する宇宙のメッセージが、朝の空気には満ち満ちている。
この早朝の時間に立ち会える職に就いた幸せは、いくら反芻しても飽きることがな
い。
ついでに言うと、作物を作る場合、午前中の光線が特に大切だと言われる。私の
経験でも夕陽より朝陽の方が影響が大きいように思う。戦争に行った人にきくと、戦
闘で受けた傷を治すのに朝陽に当てたという。
それは朝と夕の大気の状態や温度のちがい、それに受け手の生物の体内環境の
ちがいが複雑にからみ合って、そういう現象を起すのだろうが、「始まり」の中に、活
力の元がより多くあると見るのが、自然の摂理にかなっているだろう。毎日の繰り返
しの中で、その早朝の気を自然から得るというのは、人間という生き物に対して、身
体的だけではなく、精神的にも健康な影響を及ぼすと考えても不思議ではない。
しかし現代人は自然と切り離された林立するコンクリートの中で、昼夜の別なく働
いたり、活動したりという生活を強いられている。
そのような生活空間あるいは生活時間におかれた頭脳によって生み出される想念や
価値観、思想、哲学というものは、生き物としての人間にとって果して健全なものか、
はなはだ疑問に思っている。自然と伴走する百姓生活の中で生み出される野良の文
化といったものが、都会や近代に対する対抗文化として必要ではなかろうか。
つづく