小山君が朝のミーティングの時、ロボットみたいに、首をまっすぐ立てて入ってきた。
寝ちがいして、痛くてたまらないという。
顔は正面を向いたまま、横にも下にも曲げられない。
まるで見えないギプスに固定されているようである。
これでは仕事どころではない。
じっとしていても痛くて辛いというので治療することにする。
私はこれでも鍼灸の免許をもっている。
ペーパードライバーならぬペーパー鍼灸師である。
免許は取ったものの、百姓と二足のワラジをはく気が起らなかった。
鍼も灸も太陽の下の魅力にはとうてい及ばなかったのである。
従って治療するといっても鍼灸ではなくただ相手の患部に手を当てるだけである。
それが効くのか効かないのかは、私は全く知らない。
最近、佐代が腰痛になり、2、3回やったことがあるが、過去においても数える程し
か経験がない。
治療が始まる。
昔、娘の腹痛を治療した時のことを思い出した。
この時は自分の手から気が出ていることをイメージして、その力で癒そうとした。
しかし今回は全くちがった。
私の力は何もないという認識だ。
ただただ媒体物になる。
宇宙のエネルギーが、私の身体を通って、相手の身体に流れる。
「世界人類が平和でありますように」と祈り、神の光を誘導する。
そして「守護霊様、守護神様よろしくお願いします」この二つをくり返し称え続ける。
時々「小山君の首がよくなりますように」というのも加える。
自分は無である。
ただ神の道具である。
「我」があれば、ショートして電流(気)が流れにくくなる。
五分、十分治療を続けていると、小山君が「大分楽になりました」と言って、ポツリ
とこう言ったのである。
「麻野さんの存在を感じません」
ドキッとして「よっしゃ」と思った。