炎天下で仕事をするのが好きである。
若いうちから、帽子もかぶらず、上半身裸のスタイルは今も変わらない。
オゾン層がどうの、紫外線がどうのと言われる時代にあって、この格好は子供に
真似させる訳にはいかないが、帽子やシャツは汗の体にまとわりついて、どうもう
っとおしいのである。
真夏の太陽は暴君である。
その暴君の直情を受けとめながら、肌の焼ける音をきくのが好きだと言えば、「ア
ホか」と言われそうだが、炎天下は一種独特の雰囲気があって、人を誘惑し鼓舞
させる力をもつ。
高校球児の甲子園でも、春より夏の方が詩情がありドラマチックである。
灼熱と対峙できる生命力の輝きを全身で表現するのが夏の甲子園であり、我が
夏の畑仕事である。
只太陽だけが照りつける静寂の中で、黙々と作業を続けるその風景に人生の物
語りを感じて私は遊んでいる。
その愛すべき夏が今年は長引いた梅雨のせいで、秋風と一緒にやってきた。
やはり夏は夏であって欲しい。
スイカは豊作だったが、冷えたスイカが「うまい」と感じるようになったのは、ようや
くスイカも盛りを過ぎた盆に入ってからである。
私みたいに長年百姓してきた人間は、自然のリズムと共にあるので、それをはぐ
らかされてしまうと行き場を失い、消化不良になってしまうのである。
季節が季節らしくあることを有難く思う。
よしおくんとスイカ