―夜明けは近い―
退院の日、これまで幾多の退院者がしたように、今度は自分が門の所であの
歌に送られる。「友よ、夜明け前の闇の中で、、友よ、闘いの炎を燃やせ、夜明
けは近い・・・」
永久にこないかもしれないと思っていたその日が来た。
雪の二月に入院して、まるで季節の巡りをそのまま身体に映すかのように、新
生の門出を迎えることができた。
それにしてもこの歌は実によく退院するものの心情を詠んでいる。今は未だ夜
明け前の闇の中だと思うことが、かえって焦りを静め、勇気を与えてくれる。
当分手さぐりで、その闇を払っていくしかないが自分の中で何か胎動するものを
感じている。
大阪の自宅に帰り、家族との再会が済むと、早速塾へ行ってみる。ドアを開ける
と高校生が額を寄せ合って何か作業している。きいてみると、ビートルズの歌の
歌詞を日本語に訳しているのだが、その肝腎のタイトルが解らないという。
見ると「Let it be」本当にこの時は驚いた。あまりの偶然の一致に感動に浸っ
ていると生徒に急かされた。「これはな、つまり〝あるがまま〟って訳すのや。
オレはその〝あるがまま〟を勉強しに東京の病院に行ってたんや」
森田療法のキーワードが、帰郷するやいきなり出てくるなんて尋常ではない。
ユングのシンクロニシティという言葉は、まだその時知らなかったが、何か見え
ざる手で未来への門がぐいと開かれ、後からポーンと押されたような気がした。
さてその翌日、例の余ったトウモロコシの種を庭の片隅に播いた。しかしそれだ
けでは物足りなく思い、キュウリやトマトの苗を買ってきて植えた。
そんなことをしているうちに、子供の頃の記憶が次々に蘇ってきて、うちも百姓し、
米も野菜も作っていたことを思い出した。
戦後の食糧難の時代から昭和三十年代にかけて、我が家は様々な商売をしな
がら、人を雇って1町余りの田んぼも耕作していた。私はその頃から農作業が好
きで、田んぼや畑によく行った。
経済的には恵まれた家庭だったので農作業を無理強いされたことはなく、私の
思い出の中の農はその現状とは裏腹にふんわりとしたもので、牧歌的なイメー
ジが強かった。つまり私は幼い頃から農業親派だったのである。
好きこそものの上手なれで鍬、鎌、備中鍬、押切り等の農具も一人前に使いこ
なせた。
その当時、家の周りは全て田んぼで、東の窓を開けると金剛、二上の美しい山
並みが見えた。しかし高度成長期に入って産業構造が農業から工業へシフトし
ていき、国の農業政策が自給放棄の方向をはっきりうちだしてきた頃には、地域
の農業人口も少なくなり、あちらこちらに新興の住宅が建ち始めていた。
家の増加と共に小川も汚れが目立つようになり、ホタルやシジミも姿を消して
いった。それと並行して、我が家の田んぼも少しずつ減り、金に化けたり、宅地
に化けていった。そして残りは農協にゆだね、農業から全面撤退して、既に十
年以上経っていた。
かつての田んぼに行ってみると、農協も手が回らなくなったのか、草ぼうぼうで
あった。塾の高校生や近所の人を召集して草刈りし、とりあえずみんなで耕し始
めたのである。
四月の末に退院して、五月の連休過ぎには、もう一丁前の畑が出来上っていた。
春の柔らかい陽射しを浴びて畝に坐って体を休めていると、「うららか」とか「のど
か」とか、長い間忘れていたような単語が、じわっと頭の中に広がり、これまで長
い間緊張してきた私の心をほぐしてくれるのであった。
五月の初旬は夏野菜の植え付けに一番いい時期だった。ナス、キュウリ、トマト、
ピーマン、カボチャ、マクワウリ、サツマイモ等の苗を植え付け、枝豆、インゲン、
ニンジン、トウモロコシ、等の種まきをした。
畑は急に素人衆でにぎやかになり、近所の百姓が物珍しがって、あれやこれや
教えに来てくれた。人によって言うことがまちまちで、誰を信じていいのか困った
が、全体のどの断面を切り取るかによって、正反対の説明になったりする訳で、
植物をよく観察したり、野菜栽培の本を読んだりすると、そのことが解るのであった。
それに人間よりも植物の方が賢い場合があり、とんちんかんな働きかけにも「よ
か、よか」と鷹揚に反応してくれたりするのであった。
朝はスズメの声で目が醒めた。目覚めると、すぐ畑に飛んで行った。
一分と寝床を暖めることはなかった。意識して自分を忙しくしていた。畑と塾でス
ケジュールいっぱい、日曜日も家庭教師をしていた。まさに座る間もない忙しさ
であったが、それは自分の内面を覗き見る余裕を与えないという私なりの荒治療
であった。
帰宅後の生活では内にばかり向いていたエネルギーが、そっくりに外に向きだし
たから、見るものきくもの、手当り次第に興味を覚え、まるで子供時代の時間のよ
うに一日が長くなった。外界は魅力に満ち、いつも見慣れている屋根瓦の微妙な
曲線を見てさえ喜びを感じた。以前と違うと特にはっきり思えたのは色彩の変化
だった。心の曇りがとれると全てが鮮やかに見え、人は同じ世界に生きていても
けっして同じ世界を見ているのではないんだと思った。
つづく