露伴は枝豆が好きだったそうである。
あの「五重塔」の幸田露伴である。
娘の文さんが書いている。
終戦後、まだ食糧難のころ、父に食べさせようと汗の出なくなる程歩きまわり、
ある農家で土間に束ねてある豆を見つけ、譲ってもらう話にまでこぎつけた。
しかし、「これは一等品だから、うちで食う。よそに売るのは二等品、三等品」
と言われて、二等品でかたづけられたそうな。
露伴はそれでも喜んだ。
「それならあの一等品ならどんなに」と思うと残念さがぶりかえしつい愚痴を
こぼした。
しかし「百姓は何代、不出来なものばかりを食べて、いいものを売ってくらし
てきたか。いまちょっとぐらい偉い気になったって、いいじゃないか」とたしな
められたのである。
お米の時も、芋の時も文さんが腹を立てると、露伴は「いいじゃないか」と百
姓を庇い、「お前の方がよっぽど、おっかないよ」と笑っていた。
買い出し体験をした人は、今でも百姓を親の仇みたいに、口汚くののしる人
が多いが、実際、百姓の狡猾さ、横柄さ、欲の深さ等の毒ガスを吹きかけら
れたのだろうが、百姓にとっては千載一遇のチャンスだったのだ。
露伴同様、百姓のために弁護すると、食糧難のあの当時売り手相場にもか
かわらず米は自由に販売できた訳でなく、食米(自分の家で食う米)を残して、
全て国に供出しなければならなかった。
詳しい制度については書かないが、百姓も収穫量の名目と実質のわずかな
隙間をぬって、闇米を捻出し、生活費に当てたのである。
町の人が配給米だけで生きられなかったように、百姓も超安い供出米だけの
収入では生きられなかった。
ただ現物を握っているものの強みがあったのである。
ついでに言うと、昨今、というよりもう随分昔からこの国では米余りになってい
る。
米が余ったから減反しろ。
足りない時は統制を加えて、自由に売らせないで、余ったら自分で売れという。
これじゃあ百姓はたまったものでない。
百姓はそういう割を常に食わされ、そういう歴史を生きてきたので、自分が有
利に立った時、相手に対してどういう態度をとったらいいのかという文化とは無
縁だった。
態度が横柄で尊大だったとしても、その背景には虐げられてきた過去がどっさ
り詰まっているのである。
そんな話を、朝のミーティングの時していたら、小山君が口を開いた。
彼は丹後の出身であるが、親戚の農家のおばさんにきいた話をしてくれた。
食糧難の頃、町の人に米を譲って欲しいと頼まれて、あり余っている訳ではな
い米を譲った。
そのうち親しくなり、その人の家に遊びに行ってみると、台所の洗い場のおひ
つや茶碗に米粒がくっついていた。
それを見ておばさんは腹を立てたという。
ここに米を作る人と食べる人の意識のズレがある。
食べる方は、食べるだけのドライな立場にいるが、作る方はそのプロセスの大
変さに関わっているので、一粒一粒に対する思い入れがまるでちがう。
まして機械化以前の米作りに於いておやである。
これをつなげるのは露伴のような想像力であり、懐の深さである。
文さんはこのことについて今でも父に感謝しているそうであるが、そのおかげで
彼女は百姓や農村に対する嫌悪や偏見を持たずに済んだのである。
しかしひとこと蛇足としてつけ加えておくが、露伴が鷹揚で、物解りがよく、文さ
んが愚痴っぽかったのは、露伴の方が偉いのではなく、買い出しの現場にいた
当事者と、買い出したものを享受するだけの立場にいたもののちがいである。
そうはいうものの父には娘に正論を納得させるだけの人間としての実力があり、
娘にはそれを素直に受け入れる器量があったということだ。